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エピソード1・王羲之(おうぎし) / エピソード2・三蔵法師
ひらがな、カタカナ
東晋(304 〜439)の時代に生きた書家、王羲之(おうぎし)といえば日本書道界にも大きな影響をあたえた人物で中国書道界を代表する書家の一人です。その王羲之が(永和九年、353年)蘭亭で曲水の宴を催したときにかきあげた作品が有名な「蘭亭序」(らんていのじょ)です。曲水というのは人工の小川の水辺に座り、上流から盃を流し自分の前にながれてくるまでの間に詩を作るという貴族たちの雅な集いでした。その趣向にはルールがあるのですが、これがお酒好きにはたまらないルールなのです。盃が自分の所に流れてきたら、そのお酒を飲み干してから詩を詠み、もし、自分の所に流れ着くまでに詩ができてなかったら罰ゲームとして大きな盃で飲み干さなければならないというもので、どっちにしろ飲むのねという感じです。そして、この日にできた詩を集め書き上げ、世に名高い「蘭亭序」ができたのです。酔っ払いもいたでしょうね。大勢、多分・・・。
王羲之もその日よっぽど楽しい時間をすごしたのでは。そんな蘭亭序が約250年後、唐の太宗があまりにも王羲之の書を好んだ為、陰謀の渦に巻き込まれてしまうのです。蘭亭序は王羲之の子孫に伝えられ隋の時代、七代目の子の智永(真草千字文で有名)は亡くなる時に蘭亭序を弟子の弁才にゆだねたのでした。太宗は王羲之の書を集めだし、蘭亭序を弁才が持っている事をつきとめるのですが弁才は知らないと言い張り、大切な蘭亭序を守ろうとがんばるのですね。そこで太宗は家臣の蕭翼(しょうよく)を弁才の寺に差し向けるのでした。蕭翼(しょうよく)は身分をいつわり姿をかえて弁才と親しくなり、書について語りあったりするなかで弁才はこころを許していくのです。そしてある日、とうとう弁才は翼蕭(しょうよく)に蘭亭序をみせてしまうのです。蕭翼(しょうよく)の最初からの策にはまり外出したすきに蘭亭序は持ち出されてしまいました。太宗はこうやって手にいれてしまったのです。とても喜んだようです。しかし、その時代の時の権力者なのですからほしいものは手に入った事でしょうが、なんともエゴの極みですね。そして、虞世南(ぐせいなん)、欧陽洵(おうようじゅん)、猪遂良(ちょすいりょう)という唐を代表する書家たちにたくさんの模本をつくらせたのでした。そして太宗の遺言で本物は太宗とともに埋葬されたのです。でも唐の時代、太宗の庇護のもと書道は空前ともいわれる発展をみるのです。でも太宗やりすぎ・・・。
私がこの蘭亭序をめぐる件でなによりも気にかかったのが、その後の弁才と蕭翼(しょうよく)なのです。彼らが蘭亭序という傑作にかかわり人生そのものが翻弄されたのではと思ってしまいます。弁才はさぞかし自責の念にかられたでしょうし、相手が策をもってきたとしても守りきれなった後悔はどれほどか計り知れないとおもうのです。ましてや、思いもかけない人のうらぎり・・・。辛すぎますね。蕭翼(しょうよく)もその後、使命を果たしたからといってすっきりと心おだやかに暮らせたのでしょうか。今となっては知る由もないのですがね。太宗だけは最後まで蘭亭序をもっていけたのですから本望なのでしょうね。








